BLOG & INFO

世界初、人の歯の矯正でパンダのあごを治療 成都のベイシャー、3年後の姿

成都の基地で生まれた北侠(ベイシャー)は、生まれてすぐのけがで左の前足を失い、生後3か月ごろには下あごが左にずれていることも分かりました。そのずれを、人の子どもの歯の矯正の考え方で治した治療は、パンダでは世界で初めての例です。

この記事では、治療がどう進んだのかと、治療を終えて約3年後の2026年9月に医師が会いに行ったときの様子を紹介します。

ベイシャーは2022年7月10日生まれの雄で、双子の兄は北辰(ベイチェン)です。兄のことや家族の歩みは、「成都の微笑みパンダ・ベイチェンはいま?性格と家族の歩み」で紹介しています。

生まれてすぐのけがと、左前足の手術

けがは、生まれてすぐに起きました。成都の基地の獣医、黄文俊(ホアン・ウェンジュン)さんによると、主な原因は、母の北川(ベイチュアン)が子育てに慣れておらず、赤ちゃんをくわえる力の加減を誤ったことです。

左前足の手首のあたりがひどく傷つき、下あごにも強い力がかかりました。傷ついた左前足は血が通わなくなり、元には戻らない状態になってしまいました。

獣医チームは命を守るため、生まれて24時間たたないうちに、左前足の先と腕の一部を切る手術をしました。

黄文俊さんは、この手術の難しさを「小さすぎる、早すぎる、前例がない」と言い表しています。生まれたばかりの赤ちゃんは体のつくりがまだ育ちきっておらず、手術に耐える力がとても弱いのです。

チームは人の切断のやり方をそのまま小さくするのではなく、生まれたてのパンダに合わせて作り直しました。ベイシャーの様子を見ながら判断と調整を重ね、その命をつなぎました。

パンダグッズ専門店 PANDA PLANET パンダグッズはこちら

なぜ下あごが左にずれてしまったのか

生後3か月ごろ、今度はあごの問題がはっきりしてきました。下あごが左へずれ、顔がゆがんで見えるようになったのです。

最初に気づいたのは、赤ちゃんのころに世話をしていた飼育員たちでした。飼育員の付佳(フー・ジア)さんは「吸う姿勢がおかしいことに気づきました。とても力を入れて飲んでいるように見えるのに、体重を量ってもあまり変わらなかったんです」と話します。

飼育員は、ミルクを飲む前と後に毎回体重を量り、飲んだ量を記録していました。記録を見ると、長いあいだ、1日の体重の増え方がふつうより低いままでした。

あごがずれていると、吸うときに口の中で吸いつく力をうまく生み出せません。ミルクがよく口からもれてしまいました。あとから生後40日、80日、110日のCTの画像を見比べると、下あごの左への傾きは少しずつ大きくなり、110日目には8.25度に達していました。

このまま骨が育っていけば、大きくなってから竹をうまくかめず、生きていくのが難しくなるおそれもありました。

なぜずれたのか。獣医チームは、早いうちのあごのけがと、前足を失ったことによる体の使い方の変化が重なったと考えています。黄文俊さんは「前足を失うと、前足で支えてお乳を飲むパンダの赤ちゃんは、飲む姿勢も力の入れ方も変わってしまいます」と話しています。

人の子どもの矯正の考え方で、治し方と装置を決めるまで

2022年の晩秋、成都の基地の獣医チームは、四川大学華西口腔医院に助けを求める電話をかけました。四川大学の、歯と口の病気を専門に診る病院です。

電話を受けたのは、この病院の矯正歯科の医師、龍虎(ロン・フー)さんでした。

龍虎さんは「最初、基地はただ専門家の意見がほしかったんです。当時はだれも、どうすればいいのか分かりませんでした」と話します。龍虎さんは画像診断の医師たちと基地へ行き、ベイシャーを調べました。

ずれていたのは、あごの関節が入るくぼみの位置

CTの画像で、思いがけないことが分かりました。左の下あごの骨が短いわけではなかったのです。問題は、下あごの関節がはまる頭の骨のくぼみが、左だけ後ろに寄っていたことでした。

くぼみから頭の骨の後ろの端までは、右が52mmなのに、左は41mmしかありませんでした(左右の差は約11mm)。左の下あごの骨は、むしろ右より少し長いほどだったといいます。龍虎さんは、骨の長さではなく、関節の位置が後ろにあったことを「左の下あごの骨は、スタートラインで出遅れたと考えると分かりやすい」とたとえています。

手術ではなく、成長の力を使う方法を選んだ理由

考えられる方法は2つありました。1つは、あごの骨を切って動かす手術です。ただ、大人になってからでないとできず、お乳を吸えない赤ちゃんには、待つ余裕がありませんでした。大人のパンダはかむ力がとても強く、手術のあとの固定も難しくなります。

もう1つの方法が、人の子どもの矯正で使われる考え方です。外から力をかけ、成長の力を使って、育っていくあごを正しい方向へ導きます。チームはこちらを選びました。

龍虎さんは「いろいろな分野の専門家で話し合い、幼いうちに急いで行うべきだと決めました。下あごの左右のずれは、成長によくありません。早く治すほうが、体全体の成長のためにもいいのです」と説明しています。

治療を任されたときの気持ちを聞かれ、龍虎さんは緊張ではなく「とてもわくわくしました。挑戦しがいがあると思いました」と答えています。

龍虎さんは「技術は難しくありません。本当に難しいのは、パンダそのものを知ることです」とも話しています。龍虎さんによると、パンダと人では、あごの大きさも、かみ方も、育ち方も、歯の形も違います。

チームは2か月近くかけて、獣医から動物の頭とあごの育ち方を教わり、年齢ごとのパンダの骨の標本を見比べました。

パンダに合わせた装置づくり

あごの骨にチタンのねじを打って力の支えにする方法も考えましたが、ベイシャーはまだ乳歯の時期でした。あごの骨の中には大人の歯のもとがあり、ねじを入れる場所が足りなかったのです。

取り外しのできる装置は、着け続けてもらう協力が要るため、パンダには向きません。歯に貼りつける形ではない固定式の装置は、パンダが爪で引っぱって壊すおそれがあるうえ、金属を飲み込んだり、息の通り道をふさいだりする心配もあり、見送られました。

最後に選んだのは、特別に作った装置を歯に直接貼りつけて支えにし、ゴムで引っぱる方法でした。

装置を作るため、チームは口の中を立体で読み取る機械を基地まで運び込みました。龍虎さんは「ベイシャーはとても協力的で、飼育員の上におとなしく座っていて、1回で成功しました」と振り返ります。

装置は、読み取ったデータをもとに3Dプリンターで作りました。すき間のあいた作りにしたのは、龍虎さんによると、軽くするためだけでなく、接着剤を広くゆきわたらせて外れにくくするためです。

装置を付けた夜と、ゴムをかけ続けた半年間

装置を付けたのは2023年の初めです。龍虎さんによると、ベイシャーは生後およそ6か月でした。その日、医師たちは病院での仕事を終えてから基地へ向かい、作業は夜9時から深夜1時まで続きました。

龍虎さんは「手術室は人でいっぱいでした。矯正の医師、画像の専門家、獣医、飼育員、麻酔の医師……。人の心臓の手術や臓器移植のような顔ぶれでした」と振り返ります。

獣医にとっては、どう治すかより先に、どう安全に処置を受けさせるかが問題でした。体の小さな赤ちゃんは、麻酔の薬を安全に使える幅がとても狭く、少しの差で呼吸が弱まるおそれがあります。体温を保つのも苦手で、保温も細かく管理しました。

赤ちゃんの口は小さく、舌が厚く、のどが深いつくりです。矯正の医師が装置を貼る場所と、麻酔の医師が息の通り道を守る場所が、同じ口の中でした。

黄文俊さんは「人の矯正の医師は『どう治すか』を、獣医の麻酔は『麻酔できるか、目覚めるか、生きられるか』を受け持ちます」と話しています。

装置は全身麻酔のもとで、右上の奥歯、左下の奥歯、4本の犬歯に貼りつけました。そこに3本のゴムをかけ、違う向きから下あごを引っぱります。貼り終えたあとは、ゴムで引っぱる力を手で試し、外れないかを何度も確かめてから作業を終えました。

龍虎さんは「人なら、外れても病院で貼り直せます。でもベイシャーの場合は、外れたときの負担が大きいんです。麻酔もしなければなりません」と話しています。

ミルクのたびにゴムを外し、付け直した日々

治療は約6か月続きました。ミルクを飲む前には毎回ゴムを外し、飲み終わったらすぐに付け直します。1日に何度もくり返す作業で、ゴムは1日1回新しいものに取りかえました。

初めのうち、ベイシャーは口の中の慣れないものを取ろうとしました。舌で押したり、右の前足でかいたり、左前足の残った部分でこすったり、足でつかんだりしたそうです。

付佳さんは「付けたばかりのころは慣れなくて、いつもかこうとして、いらいらしていました。だから気をつけて確かめて、なだめていました」と話します。

付けた直後は、飼育員が24時間付きっきりで見守りました。外れたゴムを飲み込まないようにするためです。毎日同じ角度から写真を撮り、よくなっていく様子を記録しました。粉ミルクの配合や温度、回数も細かく調えています。

龍虎さんは、飼育員の毎日の世話が、治療がうまくいった大事な条件だったと話しています。

半年後、あごはどこまで治った?

2023年の半ば、治療を始めて約半年がたったころ、ベイシャーは装置を外しました。

CTの画像で見ると、下あごのずれはほぼ直っていました。下あごの真ん中の線と、頭の骨の真ん中の線もほぼ重なっています。顔の左右もそろい、吸う、かむ、飲み込むといった動きもふつうにできるようになりました。支えにした歯も、ぐらつくことはありませんでした。

あごの関節が入るくぼみの位置の左右の差は、約11mmから約2mmまで縮みました。チームは、育ちが遅れていた左側の頭の骨の底が、追いつくように成長したと見ています。

世界で初めての治療として論文に

成都の基地と四川大学華西口腔医院は、この治療を世界で初めての例として発表しました。

治療の記録は、矯正歯科の国際的な学術誌『The Angle Orthodontist』に論文として載りました。2026年5月8日にインターネットで公開され、2026年7月号に掲載されています。

論文が出たあと、龍虎さんのもとには、アメリカやカナダ、オーストラリアなどの同じ分野の医師から、お祝いのメールが届きました。龍虎さんは、パンダに初めて歯の矯正をした医師になったことを「とても誇らしい」と語っています。

華西口腔医院の院長、韓向龍(ハン・シアンロン)さんは、2つのチームの協力が、これからの野生動物の歯やあご、顔の変形の治療に新しい考え方と方法を示したと述べています。

一方で、中国の医療の専門メディアは、1頭がうまくいっただけでは、ほかのパンダや野生動物に使える決まった手順はまだ作れないとも伝えています。

3年後の再会で、医師が見たベイシャーの姿

2026年9月20日、龍虎さんは、成都の基地が四川省の都江堰市に持つ施設「熊猫谷」へ、ベイシャーに会いに行きました。治療を終えてから約3年がたっていました。治療に加わった、龍虎さんの教え子の大学院生も一緒です。

医師が見た、いまのあご

ベイシャーは昼寝から起きると、すぐに食事を始めました。地面にどっかりと座り、右の前足でタケノコを握って、カリッとかじります。その音は柵の外まで聞こえたそうです。

首をかしげて左で何回かかみ、今度は右で何回か。まわりを気にせず、夢中で食べていました。切った左前足の残った部分も、タケノコを抱えるのを手伝っていました。

龍虎さんは柵の外から、遠くでタケノコをかじるベイシャーを目で追い、「大きいなあ!あのころは小さくて、簡単に抱き上げられたのに」と声をあげています。

龍虎さんは「下あごはまっすぐで、食べるのに少しも困っていません。かむ力が強くて、何でもかじれます」と話します。左右でかんでいる様子を見て「両側でかむ働きがとてもよく、両方のかむ筋肉が鍛えられています」とも言います。

龍虎さんによると、今回の様子は、最初に思っていたよりもよい結果だったそうです。チームはこれからも長い目で経過を見ていきますが、様子を見に行く間隔はあけていく予定です。

また元のようにずれてしまうことはないのか。そう聞かれた龍虎さんは「戻りません!骨はもう完全に左右対称で、ふつうのパンダと同じです。小さな苗木をまっすぐにしたようなもので、いまは幹がかたくなっているので、もう曲がって戻ることはありません」と答えています。

龍虎さんは「3年以上会っていなかったけれど、とても親しみを感じます。自分の子どもが大きくなったようです」と話し、「年老いた父親のような気持ちです。子どもが元気に育ったのを見て、ほっとして、うれしいです」とも語りました。

柵の外で長いあいだ見つめたあと、龍虎さんは「いまの元気さは、一緒に暮らす仲間よりもいいくらいに思います。ひいき目かもしれませんが」と笑いました。柵の外から、ベイシャーが一緒に写るように自撮りの写真も撮っています。ベイシャーは、龍虎さんにとって特に印象に残る患者の1頭だそうです。

同行した大学院生は「人の歯の矯正を学んできましたが、国宝のパンダに使える日が来るとは思いませんでした。とても光栄です」と話しています。

また野生動物の歯を治すことがあれば、と聞かれると、龍虎さんは「問題ありません。喜んで、必ず行きます!」と答えました。

熊猫谷でのいまの暮らし

ベイシャーは2026年4月に、成都の基地の本部から熊猫谷へ移ってきました。

ベイシャーは熊猫谷で、一般に公開されています(2026年9月28日 大衆健康報より)。

同じ施設で一緒に暮らすのは、どちらも2022年生まれの绩然(ジーラン)と科念(コーニエン)です。3頭は、まだ大人になる手前の年ごろ(亜成体)です。

熊猫谷の飼育員、毛永逸(マオ・ヨンイー)さんによると、ベイシャーは2026年7月に4歳になったばかり。食べ方や元気さ、体重、ふんのデータから見て、4歳のパンダとして健康な水準だそうです。

毛永逸さんは「歯の矯正の処置を受けましたが、いまのところ食べることには何の影響もありません。とてもよく食べています」と話しています。

毛永逸さんによると、ベイシャーは活発で、元気いっぱいの性格です。左の前足はありませんが、木登りで困りそうなことも乗り越えてきました。木登りは、一緒に暮らす2頭よりも上手だそうです。

※パンダの飼育場所や公開方針は今後変更される可能性があります。最新情報は飼育施設の公式発表をご確認ください。

年表で見る、ベイシャーの治療の歩み

2022年7月10日:成都大熊猫繁育研究基地で、双子の弟として生まれる

2022年7月:生まれて24時間たたないうちに、左前足を切る手術を受ける

2022年秋:生後3か月ごろ、下あごの左へのずれがはっきりする

2022年晩秋:基地が四川大学華西口腔医院に相談する

2023年初め:歯に装置を貼りつけ、ゴムで引っぱる治療を始める

2023年半ば:約半年の治療を終え、装置を外す

  • 2026年4月:成都の基地の本部から、都江堰市の熊猫谷へ移る
  • 2026年5月8日:治療の論文が、学術誌『The Angle Orthodontist』でインターネットに公開される
  • 2026年7月:論文が『The Angle Orthodontist』7月号に掲載される
  • 2026年9月20日:龍虎さんが熊猫谷を訪れ、ベイシャーの様子を見る

まとめ:成長の力であごを治した、世界初の治療と3年後

ベイシャーは、生まれて24時間たたないうちに左前足を失いました。生後3か月ごろには、下あごが左へずれ、ミルクをうまく飲めなくなりました。

獣医と飼育員、人の歯の矯正の医師が力を合わせ、成長の力を使ってあごの育ち方を導く治療に挑みました。約半年後、ずれはほぼ直りました。

1歳になるころまでに、切断の手術と約6か月の矯正を乗り越えたベイシャー。中国の国営通信社・新華社は、名前の「侠」の字にかけて、大侠(豪傑)のような粘り強さを見せたと伝えています。

治療を終えて約3年後、熊猫谷で龍虎さんが見たのは、タケノコを左右の歯でかみしめる4歳のベイシャーでした。木登りは仲間より上手で、いまも元気に暮らしています。

ベイシャーの兄・ベイチェンのグッズ

パンダプラネットには、ベイシャーの双子の兄・ベイチェンの姿を本物そっくりに再現したお座りのぬいぐるみ(ミニ)や、缶バッジがあります。興味がありましたら、下のグッズもご覧ください。

パンダプラネットでは、本物そっくりのぬいぐるみをはじめ、Tシャツや缶バッジ、ポストカードなど、いろいろなパンダのグッズを取り揃えています。お気に入りのパンダに出会えるかもしれません。ぜひ一度、パンダプラネットのショップをのぞいてみてください。

ベイシャーの兄・ベイチェンのグッズ

パンダグッズ専門店 PANDA PLANET パンダグッズはこちら

出典

※本記事は、成都大熊猫繁育研究基地・四川大学華西口腔医院の発表と論文、新華社・央視新聞・紅星新聞・封面新聞・東方新報などの報道をもとに、出典を確認のうえ作成しています。

この記事の著者

パンダプラネット編集部

パンダグッズのお店「パンダプラネット」の編集部です。動物園の公式発表や日本・中国の報道を確かめて、パンダの記事をお届けしています。

コメントは受け付けていません。

営業時間 / 木・金・土・日
     午前の部:10:00 ~ 12:30
     午後の部:13:30 ~ 18:00

定休日 / 月・火・水

プライバシーポリシー / 特定商取引法に基づく表記 / 利用規約

Copyright © 2025 パンダプラネット合同会社 All Rights Reserved.