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シャンシャンの父・リーリー 慎重な食いしん坊の上野13年と中国のいま

力力(リーリー)は、2011年から13年あまり上野動物園で暮らした雄のジャイアントパンダです。香香(シャンシャン)と、双子の暁暁(シャオシャオ)・蕾蕾(レイレイ)の父でもあります。

2024年9月に中国へ帰り、いまは四川省の臥龍神樹坪(がりゅう しんじゅへい)基地にいます。2026年8月16日で21歳になりました。

この記事では、上野動物園の発表と日本・中国の報道をもとに、リーリーの性格と上野での歩み、家族、中国でのいまの様子を紹介します。

リーリーはいま、中国でどう過ごしている?

リーリーがいま暮らしているのは、中国大熊猫保護研究中心の臥龍神樹坪基地です。中国大熊猫保護研究中心は、ジャイアントパンダの保護と繁殖・研究をおこなう国の施設で、いくつかの基地を持っています。

2026年9月には、日本から訪れた何人もの人が、竹を食べたり、外の広い運動場で過ごしたりするリーリーの姿をSNSに投稿しました。

中国の国営通信社・新華社も、神樹坪基地のリーリーの写真をたびたび伝えています。2026年に撮られたものでは、1月の水遊び、2月の木登り、3月の手すりにもたれたうたた寝などがあります。中国の報道によると、健康状態は良好です。

(2026年9月26日時点の来園者の観覧記録、2026年8月31日 新華社、2026年1月28日 中国新聞網などより)

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リーリーのプロフィールと名前の由来

リーリー

日本での名前:力力(リーリー)

中国での名前:比力(ビーリー)

性別:雄

生年月日:2005年8月16日

生まれた所:中国・四川省の臥龍保護センター

両親:父 灵灵(リンリン)、母 公主(ゴンジュ)

リーリーという日本での名前は、来日前の2011年1月におこなわれた公募で決まりました。集まった4万438件のうち、リーリーへの応募は359件。雄の名前でいちばん多かったのはタンタンの803件で、リーリーは1位ではありませんでした。

東京都と東京動物園協会の選定委員会が、応募の多かった100点の中から選び、2011年3月9日に発表しました。上野動物園は「上野動物園にやって来た新たなパンダにふさわしく、明るい将来への期待を抱かせる名前に決定しました」と伝えています。当時の報道では、活発で力持ちなイメージの名前だと紹介されました。

中国の報道では、いまも中国での名前の比力(ビーリー)で呼ばれています。

リーリーはどんな性格?慎重で、食べることが大好き

上野の飼育係が残した記録や、来日のころの中国側の紹介から、リーリーの性格をたどります。初めてのことには慎重で、食べることには熱心なパンダです。

上野動物園に来るパンダに選ばれた理由

2010年5月、上野動物園の飼育係や獣医師など6人が、中国の四川省と広州市のパンダの基地を訪ねました。何日もかけてパンダを観察し、選んだのがリーリーと、メスの真真(シンシン)です。2頭は同じ年に中国大熊猫保護研究中心で生まれ、幼なじみとして一緒に育ったと紹介されています。シンシンは、のちにシャンシャンたちの母になります。

当時の担当の飼育係は「この2頭は食欲があって、よく動く。この2点がとても大事」と話しています。選ばれた時の紹介では、リーリーは体が丈夫で力が強いとされています。

中国の新聞によると、上野動物園の獣医師も、目やにや鼻水がなく、お尻の振り方がきれいで、毛やふんの状態もよいと太鼓判を押しました。のちに上野動物園の園長になる職員は、2頭とも性格がおだやかで、ほかのパンダとも仲よくできると見ていました。

来日のころの中国側の紹介では、5歳5か月のリーリーは体重143kg。体格はがっしりしていて、性格は物静かでした。えさの時間も静かに飼育員を待ち、おなかがすいても吠えたり鳴いたりしなかったといいます。来日を伝えた中国の報道でも、飼育員が「食欲がとても旺盛で、天気のいい日は木登りが好き」と話しています。

神経質というより、とても慎重なリーリー

中国を発つ前の日、輸送用の檻に入ったリーリーとシンシンは、そわそわし始めました。きょろきょろと周りを見回し、頭を外へ出そうともしました。それでもその晩は竹をたくさん食べ、おなかがいっぱいになると眠りました。

上野に着いた夜、シンシンはすぐに眠りました。いっぽうリーリーは、部屋の中を歩き回っていました。飼育員は、リーリーが落ち着くまで辛抱強く見守ったそうです。

輸送を担当した運送会社の人は、オスのリーリーとメスのシンシンについて「輸送期間中、オスが神経質になっていたので心配しましたが、上野動物園で元気に笹を食べているのを見て安心しました。メスは最初から堂々としてて」と話しています。

それから2か月後の2011年4月、当時の担当の飼育係は「神経質というよりは、とても慎重。確実に石橋を叩いて渡るタイプ」と書いています。初めてのことにはまず様子をうかがうので、人見知りで神経質に見られるのだろう、という見立てです。同じ飼育係によると、環境に慣れるのは早く、心を許すととても人なつっこい性格です。(2011年4月29日 上野動物園より)

この飼育係は、来日、震災、繁殖シーズン、公開と続いた2か月も、2頭は「常にマイペース」だったと書いています。「大熊猫だけに猫をかぶったクマなのか(?)、まだまだ秘めた能力をもっているように思えます」とも伝えています。2024年に上野動物園の副園長に取材した雑誌の記事でも、リーリーは穏やかな性格で、慎重な面もあると紹介されています。

健康チェックの練習で見せた、大ざっぱな探り方

2011年9月27日、上野ではハズバンダリートレーニングを始めました。動物に協力してもらい、体に触れたり検査をしたりする健康チェックを、無理なく行うための練習です。ほめたりご褒美をあげたりして伸ばすもので、罰は一切与えません。

リーリーとシンシンは中国でも、部屋への移動や体重測定、採血のために腕を出してじっとする練習を受けていました。日本でも、こうした練習をすぐに思い出したそうです。

担当の飼育係は、2頭の取り組み方の違いも書いています。シンシンは完璧を求める考え方で、飼育係の意図を読んで動きました。合っていればすぐに覚えますが、よく分からないとイライラしたそうです。リーリーのことは「『だいたいこんな感じでしょ?』とまずは大雑把に探りを入れて、あとから微調整するタイプ」としています。(2011年12月2日 上野動物園より)

上野動物園は、リーリーの採血の練習で、握る場所を直させている場面の写真も紹介しました。

仕掛けのあるえさは、わりとすぐにあきらめる

上野では、えさを入れて、パンダが工夫して取り出す道具(フィーダー)も使っていました。上野動物園の飼育係は、リーリーを「比較的すぐ諦める性格」と語っています。

複雑な仕掛けには取り組まず、途中でやめてしまうこともありました。そこで上野では、麻袋でえさを包むような、簡単な仕掛けを中心にしていました。どんなに難しくても最後まであきらめず、時には装置を壊してでもえさを取り出したシンシンとは対照的です。

リーリーの好きな食べもの、竹とタケノコ

上野では、モウソウチク・シノダケ・マダケなどの竹とタケノコを主に食べていました。竹のほかに、パンダ団子やニンジン、リンゴも口にしていました。

竹をそろえるのは一苦労でした。中国の報道によると、上野の飼育スタッフは来日の前の年の11月から、伊豆半島の山を歩いて竹を探しました。理想の竹の群生地が見つかったのは、1月末になってからです。パンダが1日に食べる量は、およそ20kg。週に1度、山へ採りに行くことになりました。

タケノコは、2011年5月3日から与え始めました。太さ30cm、長さ50cmほどの大きなタケノコを初めて手にしたとき、2頭は少し戸惑ったようです。それでも2回、3回と与えるうちに、前足や後ろ足まで使って器用に食べられるようになりました。食べ方は2頭で違いました。シンシンは半分に割って、まず先の部分から食べます。パンダ舎の裏に生えた直径25cm、長さ約2mのタケノコも、先に与えられたシンシンは、お腹の上にのせて先のほうにかぶりつきました。けれど途中でやめてしまい、食べきったのは夜になってからです。リーリーは根元から先に向かって食べるタイプで、この2mのタケノコも、大きさに関係なくボリボリと、あっという間に食べてしまいました。(2011年5月21日 上野動物園より)

6歳の誕生日(2011年8月16日)には、リンゴとニンジンを氷に閉じこめた特製のケーキが贈られました。リーリーは触ってはみるものの、積極的には食べず、飼育係は「慎重なリーリーらしい振る舞い」と伝えています。シンシンの誕生日のお祝いのパンダ団子はリーリーにもおすそ分けされ、2頭で分けても、食べ終わるまでに2日間かかりました。

リーリーの見分け方は、とがった頭

上野動物園の副園長は、リーリーの顔を「やや面長で、頭がとんがっています」と話しています。丸顔のシンシンとは、ここで見分けられます。

上野で2頭の体重を同じ日に量ると、リーリーはシンシンより10〜16kgほど重くなっていました。中国へ帰る直前の2024年8月15日は135.0kgで、同じ日のシンシンは124.2kgでした。(2024年8月22日 東京都より)

リーリーのこれまでの歩み 上野の13年と、中国へ帰ってから

リーリーは5歳で上野へ渡り、13年7か月を過ごして、2024年に中国へ帰ります。その歩みを、時期の順にたどります。

5歳で上野へ、3年ぶりのパンダとして

2010年7月26日、東京都と中国野生動物保護協会が、パンダの保護研究の協力協定を結びました。上野動物園は東園のパンダ舎を改修し、飼育係を中国へ研修に出して、受け入れの準備を進めます。新しい部屋には寝室が4つあり、いちばん広い部屋は13平方メートルほど。床下には暖房も入っていました。

2011年2月20日の夕方、リーリーとシンシンは雅安碧峰峡(やあん へきほうきょう)基地を出発しました。旅のための竹80kgとパンダ団子8kgを積み、中国の職員2人が付き添っています。そのうちの1人、中国の担当の飼育員は、東京でも1か月、2頭に付き添う予定でした。

2頭は成都と上海を経由しました。上海からは、機体をパンダ柄に塗った全日空の特別な飛行機、FLY! パンダで成田空港へ飛んでいます。トラックで上野動物園に着いたのは、2月21日の夜11時40分です。約200人の報道陣が待っていました。

上野にとっては、2008年4月に陵陵(リンリン)が亡くなってから、約3年ぶりのパンダでした。パンダのいない間、動物園には子どもたちから、パンダが見られなくてさびしいといった手紙が2000通以上届いていたと、中国の報道は伝えています。読み方は同じですが、陵陵は、リーリーの父の灵灵(リンリン)とは別のパンダです。

東日本大震災のあと、2011年4月1日に公開

一般公開は、3月22日の予定でした。ところが東日本大震災で、上野動物園は3月17日から31日まで休園します。公開は、再開の日の4月1日になりました。

地震の直後、2頭は揺れに驚いて走り回りました。それでも公開の日は落ち着いていました。この日の列は一時500mにもなり、約2万1千人が来園しています。

上野で4頭の子の父に

上野では、シンシンが3回出産し、リーリーは4頭の子の父になりました。

2012年7月5日、雄の子が生まれました。けれど、生後6日で亡くなりました。

2017年6月12日には、娘のシャンシャンが誕生します。

2020年の夏、リーリーは東園のパンダ舎から、西園の新しい施設、パンダのもりへ引っ越しました。9月8日からは、新しい施設で公開されました。パンダのもりでいちばん広い放飼場には、ほら穴があり、たくさんの木が植えられています。ここを最初に使ったのがリーリーでした。

2021年6月23日には、双子のシャオシャオとレイレイが生まれました。リーリーが最初に使った広い放飼場は、リーリーが中国へ帰ったあと、息子のシャオシャオが使っていました。

18歳の誕生日の2023年8月16日には、中国側の主催で、東京で誕生会が開かれました。台風の影響で日本の各地が大雨となるなか、200人近くのパンダファンが集まっています。(2023年8月16日 新華網、中国新聞網より)

体調の変化と、予定より早い中国への帰国

2頭が上野で暮らすもとになった協定の期間は、はじめ2011年2月21日から2021年2月20日までの10年間でした。2020年12月10日、東京都と中国野生動物保護協会が5年間の延長に調印し、期間は2026年2月20日までになりました。(2020年12月11日 上野動物園より)

東京都の発表では、リーリーには2022年から、吐くなどの症状がときどき見られました。当時の副園長は、のちの講演で、吐き気や吐く症状は2018年に出ていたと話しています。中国の専門家に相談した方法で治療しても、はっきりとは良くならなかったそうです。

2023年10月5日からは、血圧を定期的に測り始めました。安定して測れるよう、左腕の一部の毛を短くしましたが、リーリーは気にしていませんでした。11月28日からは、血圧が高めだったため、高血圧の薬を使い始めています。

2024年4月22日には、麻酔をかけた検査で、胃炎と呼吸器の問題もわかりました。検査の時に毛を刈った所も、8月には見た目ではほぼわからなくなりました。

2024年8月30日、東京都は、リーリーとシンシンを9月29日に中国へ帰すと発表しました。東京都は「いまの健康状態のうちに、生まれ育った環境で治療を受けさせたい」と伝えています。2頭とも高齢期(おおむね20歳)に差しかかる前に帰すのが望ましいこと、いまは重い状態ではないことも説明されました。

中国大熊猫保護研究中心は、飼育と獣医の専門家2人を先に日本へ送り、日本側と一緒に練習や健康チェックをおこないました。当時の副園長によると、以前なら準備に少なくとも6か月はかかったところを、中国側の助けで、より早く終えることができました。

2024年9月、上野での最後の日

9月28日が、上野での最後の観覧日でした。開園前に約2,000人が並び、観覧の受付は朝8時20分で終わりました。混雑を避けるため、最後の30分の観覧は抽選になりました。その200人の枠に、1万2000人を超える申し込みがありました。(2024年9月29日 中国新聞網、2024年11月26日 川観新聞より)

この日、上野動物園の当時の副園長は「この2頭のパンダは一筋の光のように、東日本大震災と新型コロナに覆われて暗く沈んだ日本を照らしてくれた」と語っています。

翌29日の午前4時ごろ、2頭は上野動物園を出発しました。夜明け前の門の外には、多くのファンが見送りに集まっていました。成田空港から貨物機で約5時間飛び、北京時間の11時39分に成都双流国際空港に着きました(2024年9月29日 中国新聞網より)。夕方には雅安碧峰峡基地へ。上野から14時間の旅で、上野の飼育係と獣医師も一緒でした。着いたとき、2頭は落ち着いていたといいます。

上野動物園で過ごしたのは、約5000日間。東京都は、たくさんの思い出と、パンダの保護研究に関する多くの学びをくれた2頭だと伝えています。当時の上野動物園の園長も、2頭が日本の人たちにくれた笑顔に感謝し、健康で長生きしてほしいと話しました。10月2日には、上野動物園がオンラインで集めた2,960件のメッセージが、碧峰峡基地の職員に届けられています。

中国に帰ってから、神樹坪基地へ

碧峰峡基地では、まず1か月の検疫を受けました。病気を持ち込まないよう、ほかの動物から離して健康を確かめる期間です。10月には、新しい環境に慣れ、飼育員との信頼関係もできつつあると伝えられました。

2024年12月7日、2頭は碧峰峡基地で、中国に帰ってから初めて一般公開されました。日本の女性誌のウェブ版の記事によると、シンシンはすぐに広い庭をうろうろしましたが、リーリーは様子をうかがって、庭には下りてきませんでした。記事を書いた人は、遠くに頭だけがひょっこり見えた時、そのとがった頭ですぐにリーリーだと分かったそうです。

翌日の12月8日には、とても高い木にするすると登る姿が見られました。上野の東園にいたころも高い木に登っていましたが、碧峰峡の木はそれよりはるかに高かったと、別の雑誌の記事は伝えています。

2025年1月15日、リーリーは繁殖のため、臥龍の神樹坪基地へ移ったと報じられています。基地の公式の発表はありません。新華社が伝えた神樹坪基地のリーリーの写真でいちばん古いのは、2025年5月26日のリラックスした姿です。11月と12月に撮られた写真では、木につかまって立ち上がったり、台によじ登ったりしていました。

2026年1月28日には、双子のシャオシャオとレイレイも中国へ渡りました。リーリーとシンシンを迎えて始まった上野動物園の繁殖研究のプロジェクトは、2026年2月20日に15年の期間を終えています。

リーリーの家族 両親ときょうだい、シンシンと子どもたち

両親

ゴンジュ(母)

中国での名前:公主(ゴンジュ)

性別:雌

生年月日:1998年9月11日

現在の状況:2023年7月、悪性腫瘍のため亡くなりました

(2023年9月16日 中国大熊猫保護研究中心の発表、文匯網より)

リンリン(父)

中国での名前:灵灵(リンリン)

性別:雄

生年月日:1995年(重慶動物園生まれ)

現在の状況:2020年9月2日、肝硬変による多臓器不全のため亡くなりました

(2020年10月8日 重慶動物園の発表より)

リーリーときょうだい

ゴーゴー(姉)

中国での名前:格格(ゴーゴー)

性別:雌

生年月日:2003年9月6日

現在の状況:天津市動物園(公開)

(2026年9月7日 今晩報より)

ヤーアオ(兄)

中国での名前:雅奥(ヤーアオ)

性別:雄

生年月日:2004年8月13日

現在の状況:2022年3月4日、腸閉塞の手術のあと、上海野生動物園で亡くなりました

(2022年3月10日 上海野生動物園の発表(澎湃新聞)より)

リーリー(本人)

日本での名前:力力(リーリー)

中国での名前:比力(ビーリー)

性別:雄

生年月日:2005年8月16日

現在の状況:臥龍神樹坪基地(公開)

(2026年7月30日 新華社、2026年9月26日時点の来園者の観覧記録より)

リーリー(双子のきょうだい)

中国での名前:麗麗(リーリー)

性別:雌

生年月日:2005年8月16日

現在の状況:2024年11月14日、杭州野生動物世界で、重い肺炎のため亡くなりました

(2024年11月16日 中国大熊猫保護研究中心の発表(人民日報・北京日報)より)

リーリーには、父親が同じで母親が違うきょうだいや、母親が同じで父親が違うきょうだいもいますが、ここでは省略しています。

パートナー

シンシン(パートナー)

日本での名前:真真(シンシン)

中国での名前:仙女(シエンニュ)

性別:雌

生年月日:2005年7月3日

現在の状況:雅安碧峰峡基地(非公開)

シンシンとの子どもたち

名前のない息子(2012年生まれ)

性別:雄

生年月日:2012年7月5日

現在の状況:2012年7月11日、肺炎のため生後6日で亡くなりました

(上野動物園の発表より)

シャンシャン(娘)

日本での名前:香香(シャンシャン)

中国での名前:香香(シャンシャン)

性別:雌

生年月日:2017年6月12日

現在の状況:雅安碧峰峡基地(公開)

シャオシャオ(息子・双子)

日本での名前:暁暁(シャオシャオ)

中国での名前:晓晓(シャオシャオ)

性別:雄

生年月日:2021年6月23日

現在の状況:雅安碧峰峡基地(公開)

レイレイ(娘・双子)

日本での名前:蕾蕾(レイレイ)

中国での名前:蕾蕾(レイレイ)

性別:雌

生年月日:2021年6月23日

現在の状況:雅安碧峰峡基地(公開)

※現在の状況の出どころ:とくに書いていないカードは、2026年9月30日 CGTN Japanese/AFPBB Newsより

※パンダの飼育場所や公開方針は今後変更される可能性があります。最新情報は飼育施設の公式発表をご確認ください。

父の灵灵は、7歳の時に臥龍へ移りました。リーリー自身も双子で、きょうだいは麗麗(リーリー)です。日本語では読み方が同じで、どちらが先に生まれたかは報道によって食い違っています。

麗麗の飼育員は、麗麗が頑固で静かなのが好きな女の子で、外の音が大きいと怒ったと振り返っています。麗麗は腸閉塞の手術のあとに重い肺炎を起こし、19歳で亡くなりました。獣医師によると、ふだんの健康診断ではなかなか協力しなかった麗麗も、亡くなる前の治療ではとても協力的でした。

姉の格格(ゴーゴー)は6頭の子を育てたベテランのお母さんで、2026年9月には23歳の誕生日を祝ってもらいました。

娘のシャンシャンは、2頭より先の2023年2月21日に中国へ渡っていました(2020年12月11日の上野動物園の発表に、あとから足された知らせより)。中国に帰ったあと、碧峰峡基地でリーリーとシンシンが暮らした部屋は、そのシャンシャンのすぐ隣でした。

上野で育った3頭のうち、息子のシャオシャオのくっきりと整った顔立ちは、父親のリーリーに似ていると紹介されています。

リーリーに会える場所

リーリーは、中国・四川省の臥龍神樹坪基地で公開されています。観光での呼び名は臥龍中華大熊猫苑 神樹坪基地で、場所はアバ・チベット族チャン族自治州汶川県耿達鎮です。(2026年7月30日 新華社、2026年9月26日時点の来園者の観覧記録より)

神樹坪基地は、臥龍の自然保護区の中にあります。広さは150ヘクタールで、パンダを見られる区域のほか、野生に返すための訓練の区域もあります。(2025年2月3日 中国新聞網より)

シンシンと3頭の子どもたちは、別の基地(四川省雅安市)にいます。ただ、シンシンは公開されていません。リーリーと3頭の子どもたちに会うには、2つの基地を回ることになります。行き方・開園時間・入場料は、施設の公式発表や旅行会社でご確認ください。

※公開・非公開は急に変わることがあります。お出かけ前に施設の公式発表をご確認ください。

21歳になったリーリー

5歳で日本に来たリーリーは、上野で13年7か月を過ごし、シャンシャン、シャオシャオ、レイレイの父になりました。

2026年8月16日で21歳。いまは臥龍の基地で、竹をよく噛んで食べたり、手すりにもたれてうたた寝したりする、のんびりした姿が伝えられています。

パンダプラネットには、リーリーの缶バッジやアクリルキーホルダー、B3ポスターがあります。リーリー・シンシンのハートTシャツや、シャンシャンと両親のポストカードセットも。興味がありましたら、下のグッズもご覧ください。

パンダプラネットのリーリーグッズ

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出典

※本記事は、上野動物園(東京ズーネット)・東京都の発表と、新華社・中国新聞網・人民網・四川の地元紙などの報道をもとに、出典を確認のうえ作成しています。

この記事の著者

パンダプラネット編集部

パンダグッズのお店「パンダプラネット」の編集部です。動物園の公式発表や日本・中国の報道を確かめて、パンダの記事をお届けしています。

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